今日は頭の中をぐるぐるさせる日、クノさんです。
「好き」とはいったいなんだろうか?「好み」とは?「好ましい」とは…?
ちょっとこんな雨の日には、根暗な引きこもりのぐるぐる話に付き合っていただきたい…
活字ならなんでも読む乱読家、脳味噌にいれられるものならなんでもいい。
クノさんわりと勉強好きでした。
教科書って本だから。
新聞も電車の広告も折り込みチラシでもなんでも楽しく読めました。
活字だから。
体育は苦手で美術が好きだったけれど国数英社理科の五科目はだいたいおんなじくらいできました。
数学と国語と社会と理科の違いがよくわからなかったです。
そんなかんじだから理系グループにいると文系科目で上位に入り、文系グループに入ると理系科目で上位にはいるかんじでした。
全体でみるとさして成績はよくない。
ただただ読むのが好きなだけ。
あんまり意味ない。
ところで話は急展開して、今私のまわりには好き嫌いがはっきりしている人がいっぱいいます。
それはどういう人たちなのかというと、自分の感性でお金を得ている人たちです。
端的にいうとイラストレーターやデザイナー、プランナー、それにマーケターの人たちです。
好きと嫌いを武器にする人たち。
クノは今、ゲーム会社に勤めています。
ゲームが好きで勤めているわけではありません。
前職を辞めるときに友人に報告したら「じゃあうちこない?いまプログラマー探してるよ」とさそってくれたのです。
そして今、ゲーム会社に勤めてるんですけれど
すごいんだ、みんな。
「これはない!!1」
「人体がとれないポーズでは…ひどくない?」
「やだ、めっちゃかわいい!全部ほしい!!?」
…ここは、会社なのか???
自立するとはなんなのか
私は学生のときからずーーっと自立した人間になりたかったのです。
それが夢だったとも言えます。
自分が生きるために必要なことを自分でする。
会社が倒産しても、どこかにいけるような技術をみにつける。
自分で立つ。
でも自立って、お金を稼ぐってことだけなんですかね?
自分というものを立てるって、自分のこと自分でわかっていないとできないことなんじゃないかなって
自分に自信をもって、他人に何言われても、揺さぶられても揺るがないことを「自立」というのではと最近思うのです。
自分を立てるものってなんなのだろう?
多分それが「自分にとって何が大事なのか」「自分はなにが好きなのか」「自分のどこが好きなのか」
ということな気がするんですよね。
何一つ、わからない。
そういうものがあるのかどうかさえもわからない。
お金が稼げればなんでもいいし、活字であるならなんでも読む。
美味しい物は好きだけれど正直食べれるものがあるならそれでもいい。
こだわりがあるものって、他人にどう自分を見せるかという観点から選んでいて自分が心地いい物ではない気がする。
だからたまに自分がやってることがむなしくなる。
本当に好きなものに囲まれて生きているわけではないからだ。
今の環境で、好きなものをとことんきわめて、そうして自分の技術や感性でお金をえている人たちをみると
自分が結構情けなくなったりします。
わたしってどういう人間なんだ?お金を稼いだからなんなんだ?自分の中にたつものなんて何一つないのでは?
…なーんちゃって。
とぐるぐるしながら、文章書いていてちょっと思いました。
「たぶんそんなことないんじゃね?」と。
クノさん、どちらかといえばこだわりが強く面倒なほうの人間な気がします。
なんでって、人からすすめられた服も好みじゃなかったらきないし
他人から評価低くても好きな本は好きですし
なんなら、「クノちゃんは自分の世界にひきこもりすぎ!」みたいな捨て台詞を残して
共通の友人たちに私がいかに偏屈で頑固で、友人にするのに問題がある人物かふきこみまくって縁を切っていった
元友達とかいましたしね…あれは強烈な人であった…もはやしみじみしてしまう…。
たぶん、自分の好きなものやこだわりはあるけれど
それのルールを自分でわかっていなくて、まだ言語化できていなくて、適切に探したり選んだり、選択したりできていないだけですね。
だから間違った選択をしたり、居心地が悪くなったりする。
自分はちゃんと自分のなかにいる。ただそれを見つけて立たせられていないだけ。
アラサーからの自分探し、なんだかちょっとわらけてきたな?
雑多なブログをやっていてよかった!
割とよく頭の中でぐるぐるするタイプなんですけれど
あんまりアウトプットがうまくないのです。ブログを読んでわかる通り。
それでしばらく整理できないものをできないままに常に頭の一部にぐるぐるを残してる、みたいなことが多かったんですけれど
言語化して、アウトプットして、振り返る場所があるのは素晴らしいな…
ハチャメチャに自分語りでコンテンツとしての価値はあれなんですけれど
まぁこんな雨の日にはそんなときもある。
…あっ!
とってつけたようにはてなのお題を解消するの巻。
今週のお題「わたしの好きな歌」
こんな顔を見せるのは
ほんとは好きじゃないけど
僕だっていつも ピエロみたいに
笑えるわけじゃないから
雨の日には濡れて 晴れた日には乾いて
寒い日には震えてるのが当たり前だろ
次の日には忘れて 風の日には飛ぼうとしてみる
そんなもんさ 僕らはほら
我が大学時代の青春、ELLEGARDEN風の日より歌詞引用です。
クノさんは大2病をこじらせてこじらせて、人生の意味とか、なんで生きてるのかとかそういうこと考えだしちゃって
人間の盾とかボランティアとかについて調べ始めちゃったり
頭の中の黒い嵐がおさまらなくて、とうとう途中でドロップアウトしてフリーターになるという
結構テンプレのあかん感じの生き方を若いときはしていたのですが、そういうときに大変助けてもらった曲です。
辛いのも苦しいのもぐるぐるも、なくなったりはしなけれど
そんなの当たり前のことだから
それが普通のことだから、そういってもらえると
何にも状況は変わらないのに、なんだかちょっと救われたような気持ちになるんですよね…
雨の日には濡れて 晴れた日には乾いて
寒い日には震えてるのは当たり前だろ
次の日には忘れて 風の日には飛ぼうとしてみる
だから
雪の日には凍えて 雷には怯えて
月の日には辺りがよく見えたりもしてて
次の日には忘れて 風の日には飛ぼうとしてみる
そんなもんさ 僕らはそんなもんさ
雨の日、風に強い日、雪の日、月をみたときなんかにふと口ずさむ曲です。
…あの頃と比べて、まぁ職は得たし、実家もでたし、歳もとったけど
思い返すとなんもかわんねーな。
いつか、ちゃんと自立して、私は何が好き、だれになんといわれよーともって言える人間になれるといいな。
…おもわず乾いた笑いが漏れる日もある。クノさんでした。
…すげー恥ずかしい記事だなこれ?耐えられなくなったら消すかもしれない!
名盤なのでこっからじゃなくていいから、聞いてくれ…